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運を捕まえるアンテナ
- 運が劇的に変わるときというのが人生にはある
- それを捕まえられるアンテナがすべての人にある
- アンテナの感度は上機嫌の時に最大になる
逆に機嫌が悪いとアンテナは働かない - 機嫌が悪い人は最高の運気が来ていても気づかない
- イライラして早くその場を立ち去りたいとばかり考える
運は後払い
- なにもしないのに良いことは起こったりしない
- 運はポイントカードと同じで貯めなければ起きない
- 多くの人はその前のことを無視して、突然良いことが起こることのように期待している
- 運は「良い」か「悪い」で表現するものではない
「貯める」か「使う」で表現する - 先に「貯める」がある、次にある程度溜まったら「使う」ができる
「運がいい人」は溜まったから使っただけ - 頑張っても報われないときは運が溜まっていると考える
- 努力して結果がでたり、すぐ良いことが起こったりするのは、運を小出しに使っているだけ
他の人より取り立てて運がいい訳では無い
キッカケ
- 相手のことに興味を持って、なんでも良いから接点を見つけて、会話が始まれば「見知らぬ人」ではなくなり、それが重なると「知人」になり「友人」になり「恩人」になる
- キッカケを生む方法を知らないと、すべての運は通り過ぎ、奇跡を起こす種すら手に入らない
- 機嫌が悪そうな人に話しかけたり何かを頼んだりしない
そしてそれが原因で何かのキッカケを逃す
基本姿勢
- 今の状況が悪く、不幸なことが続いて起こったのは基本姿勢が不機嫌だったことから生まれた結果かもしれない
- 「不幸なことばかり起こるのに上機嫌になれるわけない」、ではなく、基本姿勢が不機嫌な人に毎日の人生を起こる幸せの種を見つけることはできない
損と得の基準
- 人に興味をもつ
- 未知のものに対して「楽しそう」「面白そう」と思ってみる
- 興味がなくても「何が楽しいんだろう」と興味をもってみる
- 「損する」「得する」なんて最初から分かるわけではない
- 得しそうだから動く、損しそうだから動かない、という基準を変えたほうがいい
どこでどう縁がつながるかわからない - だから「面白そう」「楽しそう」と思ったほうが良い
人生のターニングポイント
- 運が好転する「人生のターニングポイント」があって、人生がどんどん良くなっていく時があるとする
だがそこですごい何かが起こるわけではない - あとから「あそこが始まりだったな」と気づく
- 何か特別なことが起こったように感じられるわけではない
努力の結果
- 今すぐ結果が出ないと運が悪いと思い始めて苦しむのは
それは種を撒いて収穫前なのにすぐ「まだ育たない」と嘆くのと同じ - 努力の結果は時間がかかる
努力の姿勢
- 誰かの努力の姿勢が「自分も同じ様に頑張ろう」いう気持ちにさせてくれる
- そのひたむきな姿勢は他の人を幸せをもたらす力がある
- 世の中は誰かがか頑張る姿からもらったエネルギーの集合体
- 結果からもらったエネルギーの集合体ではない
運と成果が目の前に起こるタイミング
- 運や成果を「狭い範囲」「短い期間」で判断しない
- 自分がやった努力の成果が自分に対して現れるのは、自分が思ったよりもずっとずっとあと
- 努力して直ぐに自分に良いことが起こらないからと言って「運が悪い」「努力は報われない」と思わないこと
- 運が悪いと思う人は「今すぐ」「自分だけ」と考えすぎている
生命の物語のバトン
- 「いい時代に生まれた」と運が良かったというふうに考えるのは違う
どこからかふっと湧いたわけではない - 今までにたくさんの血と汗と涙、努力と命が費やされてできたもので
「あった」ものではなく、命と引き換えに「作られた」ものである - それぞれの時代に生きた人が自分の役割を果たすように生きてくれた
(運を貯めてくれた) - だから次の世代はいい時代に生まれ育つことができた
(運を使ったから幸せでいられる) - そして今その生命の物語のバトンを受け取って生きている
(次の誰かのために運を貯める)
プラス思考
- 物事に対して「プラス」「マイナス」なのかはその時はわからない
- 起こったことを自分の人生において必要な経験に変えていくのが「生きる」ということ
- 「プラス思考」というのは起こったことを「自分の人生においてどうしても必要だから」
と大切な経験だと思えること - 自分の都合のいいことをイメージして、それが起こるのは「プラス思考」ではない
誰かと比べない
- 自分の人生に集中する
- 他の人が多くを持っているように見えても、うまく行っているよう見えても関係ない
- それよりも自分の人生をしっかり見つめれば、自分がどれだけ恵まれているかがわかる
まずは自分が恵まれていることに心から気づくこと
むしろよかったんじゃないか
- 起こった直後は「最悪」と思っても時間が経って考えてみると「むしろよかったんじゃないか」と思えることが多い
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「むしろよかったのではないか」その言葉に強い共感を覚えました。
自分が「パニック障害」を発症した時は人生で最悪な時でした。
だけど、いま振り返るとこの病気を乗り越えるためにいろんなコトを学び試してきました。
そして前より成長してマシな自分になれた気がしています。
だからこそ、その不幸だと思えた出来事も自分の人生に必要だったことの様に思え、「むしろよかったんじゃない?」と思いました。
そして何年後かにこう考えると思うんです。
人生のターニングポイントは「この本がキッカケだった」と。
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